2011年2月8日火曜日

私の履歴書 世紀の祭典「ザ、ビートルス 来日裏話

*前座にドリフターズ:背後には
ライオンの看板が映り込んでいて、
とても効果の高い協賛でした。
1966年(昭和41年7月1日・2日)Welcomu The Beatles, 公演

2ヶ月程前に、広告代理店電通の代表専務だった 梅垣さんが

まだ若い課長だった私の会社に来られ、「寺さんイギリスのロックバンド」

ビートルスが来日し、日本テレビで、放送するので、提供をお願いしたい

と言う売り込みでした。

恥ずかしながら、ビートルスなるグループを 全く知らなかった私!

私だけではない、その時の総理 佐藤栄作さんも更に全く知らず、

「下らん者を呼ぶな」と言い、公演の場所が、「武道館」時の館長が

正力松太郎さん、「日本の武道をするために建てたもの」

その神聖な場所で、ロックのバンドを公演するのは、いかがなもの

か猛反対!今考えれば、その頃の日本は「お金稼ぎに夢中!

文化なんて後回し、そんな世界的な 日本初の大イベントを何故

その頃大きくないLIONに売り込みにきたのか?

梅垣さん、そのビートルスって何者なのか知っているの?

詳しくは知らないが、「英国の女王から国民栄誉賞を貰い

世界的大スター!広告は寺さん,話題を買うんだよ」若い女性に聞いて

みてくれ、たしかに皆来日を、信じない!


日本の景気も、その頃から右肩上がりの、好景気でしたが、外国の

ロックバンドに高額なお金を支払うのは、少なかったと思う、

でも私は 飛びついた!

広告界では、大袈裟な表現だか,「勝海舟と西郷隆盛の江戸城開城」

の確約と同じ重さがあったと思います。

 二人は笑って合意!「その騒ぎを、買わしてください」で決着!


参考までにその時の契約条件は

1)羽田到着の時は タラップに「ロールスロイス」4台 車のいろは

  小豆色を指定、だがその時の日本は、「最高級はキャデラック」

2)契約保証金は、前金も含め、放送権、制作費など等 1億円以上

   今の評価だと10倍いかもしれない.

3)宿泊は「ヒルトン」今の「東急キャピタル」で、 10階以上は 貸切



警備は  警官 1700人、消防500人、パトカー5台の完全警備

                     JALのハッピで登場後、ヒルトンホテルに
                     向かう世界のビートルズ!すごかったなー!!
                        
当日は17時39分開始、1万の観客、

第一部は「ブルー・コメンツ」そして、待望のビートルス登壇」

全員立ち上がる!踊る! 女性の矯正の嵐! 泣き叫ぶ! 卒倒!

看護隊員が飛びまわる! トイレは、武道館だから男性用が多く

我慢できないと叫び!男性のトイルに流れ込む、大袈裟だが

「阿鼻叫喚」  て感じこの熱狂も なんと演奏、35分!

終わっても観客は帰らない、

3 件のコメント:

  1. 素晴らしい\(^o^)/こんな仕事、一生のうち一回はやってみたいです!憧れます!世界的な大スターを招き、武道館コンサートを実現させた交渉力、さすがムッチー♪♪

    返信削除
  2. 子供のころ、むっちーが、英国からロックバンドをよぶことになったんだよ、と話してくれたことは、記憶にとても鮮明に残っています。なにがびっくりって、あの8時だよ全員集合のイメージだけだったドリフターズがバンド演奏ができちゃうこと。しかも、ビートルズの前座っていうのが最高ですね。ビートルズが羽田からパトカーの誘導でホテルにという当時の懐かしい映像に感動。あれから時は流れても、ビートルズの人気は変わりない、本物はいつの時代であっても受け継がれるのだと感動しました。

    返信削除
  3. へぇ~!当時、平河町には福井から従兄弟の女子大生が下宿していて、どうしても見に行きたいというので母が小1だった私と犬をボディガードにつけて(実に頼りないですが…)ヒルトンホテルに同行した思い出が甦ります。凄い群衆(ほとんど当時のギャルたち)とホテルの窓から手を振るビートルズの豆粒のような姿に幼いながら感動しました!
    その仕掛け人のお一人だったとは…スゴ~イ!!
    先日はご夫妻でご足労願いまして本当にありがとうございました。平河町もその当時からは様変わりしましたが、思い出はいつまでも色褪せないものですネ!

    返信削除