履歴は3,4回でまとめます。 生まれは、京都です、顔は
今風の いけめん!ではありませんが、和風の薄味
醤油型! 人様には、京都うまれだから、どちらから言うと
公家風、若い頃は「ご落胤の落とし子」で京の五条の橋の
下で拾われた!と冗談を言っていました。今もそっくり
残っていますっが、その家は、銀閣寺に通じている疎水
沿いに有ります、
兄弟は、なんと、11番目の末っ子「女5人の 男6人」
母が私を身籠った時,医師は、母体が持たない、からと
おろすことを、進められたそうです、「母は自分の命と
引きかえっても」生みたいと懇願、今でもその産科は
「上京区にあります」
でももし、と云う時は、我が家に出入りしていた、呉服屋
さんが、子供もなく子供好きで、そのお子さんを大切に
お育てしますと云う口約束で、母も私を産むことを決意!
昭和4年1月30日に目出度くうまれました。
「その時、日本の歴史が変わった」!!幸い母子ともに
健在!だった、・・・・・世が世ならば、母が亡くなれば
今頃は京の呉服屋さんの、跡継ぎになっているはず
「人間の人生や、運命は大きく変わっているものだ」
だがその大切な母は、私を産んだあと、不治の病
で 「関節ロイマチス」でしだいに、不自由な体になる
僕が今日生きて居られるには、母の決断だと思います
いくつになっても、母の思い出は、忘れません
まだごご両親が、おられる方は、大切にしてください。
次は小学時代の話を書きます。
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