2013年3月21日木曜日

ヨハネ パウロ2世・ローマ法王謁見(えっけん)の思い出『システーナ礼拝堂修復記念』


2013年3月15日 バチカンのサンピエトロ広場で新法王を待ちわびた
 
群衆に、“白い煙”を掲げて新ローマ法王『フランシスコ1世』の誕生の
 
知らせが、全世界に。決定を待つ人たちへの知らせが煙突から黒い煙、
 
決定した時には白い煙で、群衆に知らせる習わしは何とも古風ですね。
 

むっちーが64才のとき、1993年(平成5年)10月16日に、
 
システーナ礼拝堂にミケランジェロが描かれたフラスコ画(1535年から
 
1545年)が数百年の間にろうそくの油煙で黒くすけた為、
 
その修復工事が行われている最中に、訪れる機会を与えられたのです。
 

そしてその修復の一部始終を日本テレビさんが全ての歴史的記録を担当し、
 
ほぼ完成した年に、日本テレビさんが広告業界数社を招待し、
 
その中の一人として、妻よしこちゃんと同伴でバチカン市国に招かれたのです。


私が64才のときですから、丁度20年前のこと。
 
我が人生”最大”の記録であり、”思い出”の旅となりました。
 

この日は、礼拝堂修復完成を見るためだけと思っておりましたが、
 
なんと礼拝堂見学の後に、法王さま、謁見のお部屋にご案内いただき、
 
”ヨハネ バウロ2世”に拝謁をいただいたのです。
 

参加者全員に祈りのお言葉と一人一人と握手まで、、、、、。 
 
むっちーもよしこちゃんも、カトリックではなくプロテスタントです、
 
と申し上げると(もちろん通訳付き)その時法王さまは、
 
宗教に宗派はありませんよ、と言われた言葉がとても印象的でしたね。
 

話は戻って、システーナ礼拝堂の壁画修復の裏話をちょっと。
 

ミケランジェロ氏は1508年から1512年の約4年間でこの見事な壁画を
 
完成したわけですが、キリストの生涯や、モーゼの生涯の物語、
 
そして最後の晩餐など、日本は戦国時代とやらで戦っていた時に、
 
ヨーロッパではこの様な芸術が進んでいたことには驚かされます。
 

ミケランジェロは”色盲”だったという伝説すらあったそうですが、
 
壁画には日本の和紙のようなものを濡らして、上からたたいて完成の時には
 
原画そのままの色調にしたとのこと。
 

このブログを御覧いただいた方でイタリア旅行をされたら、
 
是非システーナに足をお運びください。
 

真面目な話で、むっちー面白くな〜〜〜い! と言う方に、
 
最後に年寄りのジョークで締めます。
 

”法王選出の場を、日本語ならぬイタリア語で ”コンクラーヴェ” 
 
というそうです。そこで日本人の好きな『比べっこ』の言葉を探してみました。

1)コンクラーベ 2)セイクラーベ 3)チカラクラーベ 
 
4)ドキョークレーベ 5)タベクラーベ、、、、、
 
もっと沢山あると思いますので、皆様、教えてください。


おしまい。

1 件のコメント:

  1. 1)アジクラーベ
    2)ノミクラーベ
    3)ガマンクラーベ
    4)チエクラーベ

    おそまつでした。m(_ _)m

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