2013年3月29日金曜日

日本の言葉っておもしろいですネ!!(言葉力、表現力)


武田鉄矢さんと言う歌手であり、芸能人としても活躍しておられる方が、
 
2年前「文化放送」で「言葉力」「文字力」について、面白く話しておられた事を
 
むっちー流にして、ブログに書きます。
 

日本語は「母音」(ア、イ、ウ、エ、オ)で通じますが、「子音」は、それを含む
 
文字で意味が変化しますネ!
 

(カ行五段活用)----聡明な皆さんならご存知だと思いますが、むっちーは
 
中学生の頃に習ったはずなのに、すっかり忘れていましたので、思い出しながら
 
書いています。

 
カ行五段活用【書く】の例では「未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形
 
・命令形」で「カ(ウ)・キ(イ)・ク・ク・ケ・ケ」「書かない(書こう)
 
・書きます(書いた)・書く・書くとき・書けば・書け」と変化します。

外国人が“日本語は難しい”と言う事も解りますネエー!

 
「あ・か・さ・た・な」になると、もっと難しい表現の変化が出てきます。

(ア)は人間や動物の動きとか、ため息、感情表現に使われ

(カ) は「かさ、かさ」の様に固体系に使われ

(サ) は「さら、さら」の様に 空気、風の状態表現ですから、気体系によく使われています

(タ) は「たら、たら」などの液体の様なものの表現に多く使われています。

これを「擬態語(ぎたいご)」と言うそうです。
 

もう少し面白いのは、日本の演歌のバイブレーション(喉を震わすのは子音の部分)で
 
感情をモロ表現しています。森進一さんはその代表的な歌手だと思います。
 

次に、今どきの若者が使っている「短縮語」。

「キモい」「ウザい」「エロい」「ダサい」「チョー」「ジャン」

 
日本語の話をすると、終わりがありませんので、今日はこの辺で終わりにします。

2013年3月28日木曜日

むっちーの解りやすい経済原論とアベノミクス健康法

日本の景気はどうなるの?? 
 

長い間のデフレ経済に行きづまり、『規制緩和』と言って、競争をさせ物価を
 
下げさせる事ばかり推進したので「デフレ」から抜け出せず、タクシーは
 
お客もいないのにどんどん新しい会社を許可したり、商品価値を売らずに
 
価格競争にばかり走り、生産している会社の利益は低下し、人材費を
 
削減したり人員まで削減をすれば失業者も増加(デフレスパイラル現象)が起き、
 
数年間日本の景気はちっともよくなっていませんでした。
 

そこに現れたのが『安倍晋三内閣』。政治とお金は一緒に動かすものですが、
 
これまでの政治は“口先”ばかりで金融制度は全く手をつけなかったのです。


“安倍晋三”さんは、この難局にこれまでの内閣では誰も手を付けなかった
 
ところに手を付けた訳ですから、“晋三”さんの名前は “心臓”さんという
 
ことになりますかね(オヤジギャグ)。
 

頃もよし、日銀総裁交代、黒田総裁誕生、、、、現在の市場価格が2%
 
アップするまで、ジャブジャブお金を印刷、『大胆な緩和を進める』、、、、
 
黒田さんも“ご苦労だ!” 
 
副総裁さんの御名前も岩田さん(ヨワッタ)でもやるぜ!

 
世界中の国々が日本の新しい舵取りに注目し始めた様子です。
 
『円は安い方向に』、、、、100円近くまで行くと思いますし、
 
株価も急激に上昇し始めています。また”含み資産”が増加する訳ですから、
 
見た目の景気は回復してくると思っています。
 

でも注意してください! 
 
“株を買ったり、投資信託には素人は今、手を出してはなりませんぞ!” 
 
これは私の経験から口をすっぱくして言いたい。
 

『アベノミクス』って言う人が結構おられます。
 
私は高齢ですから、お金より健康が大切なのでむっちーの健康法を、
 
アベノミクスで考えました。
 
ア)明るい毎日を過ごせ

ベ)便通をよくしろ

ノ)飲み過ぎるな

ミ)身奇麗にしろ

ク)食い過ぎるな

ス)睡眠は充分とれ

2013年3月21日木曜日

ヨハネ パウロ2世・ローマ法王謁見(えっけん)の思い出『システーナ礼拝堂修復記念』


2013年3月15日 バチカンのサンピエトロ広場で新法王を待ちわびた
 
群衆に、“白い煙”を掲げて新ローマ法王『フランシスコ1世』の誕生の
 
知らせが、全世界に。決定を待つ人たちへの知らせが煙突から黒い煙、
 
決定した時には白い煙で、群衆に知らせる習わしは何とも古風ですね。
 

むっちーが64才のとき、1993年(平成5年)10月16日に、
 
システーナ礼拝堂にミケランジェロが描かれたフラスコ画(1535年から
 
1545年)が数百年の間にろうそくの油煙で黒くすけた為、
 
その修復工事が行われている最中に、訪れる機会を与えられたのです。
 

そしてその修復の一部始終を日本テレビさんが全ての歴史的記録を担当し、
 
ほぼ完成した年に、日本テレビさんが広告業界数社を招待し、
 
その中の一人として、妻よしこちゃんと同伴でバチカン市国に招かれたのです。


私が64才のときですから、丁度20年前のこと。
 
我が人生”最大”の記録であり、”思い出”の旅となりました。
 

この日は、礼拝堂修復完成を見るためだけと思っておりましたが、
 
なんと礼拝堂見学の後に、法王さま、謁見のお部屋にご案内いただき、
 
”ヨハネ バウロ2世”に拝謁をいただいたのです。
 

参加者全員に祈りのお言葉と一人一人と握手まで、、、、、。 
 
むっちーもよしこちゃんも、カトリックではなくプロテスタントです、
 
と申し上げると(もちろん通訳付き)その時法王さまは、
 
宗教に宗派はありませんよ、と言われた言葉がとても印象的でしたね。
 

話は戻って、システーナ礼拝堂の壁画修復の裏話をちょっと。
 

ミケランジェロ氏は1508年から1512年の約4年間でこの見事な壁画を
 
完成したわけですが、キリストの生涯や、モーゼの生涯の物語、
 
そして最後の晩餐など、日本は戦国時代とやらで戦っていた時に、
 
ヨーロッパではこの様な芸術が進んでいたことには驚かされます。
 

ミケランジェロは”色盲”だったという伝説すらあったそうですが、
 
壁画には日本の和紙のようなものを濡らして、上からたたいて完成の時には
 
原画そのままの色調にしたとのこと。
 

このブログを御覧いただいた方でイタリア旅行をされたら、
 
是非システーナに足をお運びください。
 

真面目な話で、むっちー面白くな〜〜〜い! と言う方に、
 
最後に年寄りのジョークで締めます。
 

”法王選出の場を、日本語ならぬイタリア語で ”コンクラーヴェ” 
 
というそうです。そこで日本人の好きな『比べっこ』の言葉を探してみました。

1)コンクラーベ 2)セイクラーベ 3)チカラクラーベ 
 
4)ドキョークレーベ 5)タベクラーベ、、、、、
 
もっと沢山あると思いますので、皆様、教えてください。


おしまい。

2013年3月12日火曜日

ポッカポカの“春が来た”自然の大切さ!みんな歌おう、春の歌


自宅の庭には“三色すみれ”がこのポカポカ陽気を待ちわびていたかのように、
 
ずっと寒さにも耐えて美しく咲いています。


自然って すごいですネ 自然は人間が造ったものではないのに、
 
人間様は勝手に破壊していますネ


“人間様は自然を守る責任を持たされて地球に出現した。”と思います。
 
少し前には『黄砂』が来ると、春が来たと言い、『春霞(はるがすみ)』なんて 
 
のんびりその風情を俳句にしたものですが、今は全く違います。
 

中国大陸から、大量の排気汚染となり、偏西風に乗って飛来、化学が自然を
 
壊していますネ
 

その昔聞いた話ですが、アメリカの先住民は“七代後のことを考えろ
 
と言う素晴らしい言葉を思い出しました。
 

人間は『今』と言うことに目をやるのではなく、『明日』を見て生きていく
 
ことだと思いますネ。


先日、テレビを見ていましたら俳優の『火野正平さん(64才)』が出演されて
 
演出台本にもなく、突然 “歌を唄いたい”と言い出しました。


曲は、日本人なら誰でもご存知『春が来た』です。
 

あの火野正平さんの近況を、実に面白く、替え歌にしたのです。
 
皆さんもこのブログをご覧になったら、唄ってみください。
 

 『ガタが来た、ガタが来た、どこに来た。
 
                        足に来た、腰に来た、脳()にも来た。』

 
二番は、“腰に来た”を替えて、いきなり○○の所に手をあてて、
 
『ここに来た』()・・・若き日に「浮名」を流した正平君も
 
寄る年波には勝てないと言うところが面白いですネ・・・
 

みなさんも近況をこの楽曲に合わせて、作詞して歌ったり、
 
ログやフェイスブックに載せるのもいいと思います。
 

“春に因んで”笑い話で今日は終ります。

2013年3月4日月曜日

桃の節句は我が家はみんなが記念日なんです!


昭和33年3月3日、むっちーは妻の慈子(よしこ)さんと結婚いたしました。

当時むっちーは29歳、それからなんと55年間、病めるときも、、、、二人そろって
 
ここまでこれた訳ですから感謝です、アーメン。
 

55年のお祝いは、”エメラルド婚”と言うのだそうです。二人の出会いは、
 
ご媒酌人であるライオン(株)二代目小林富次郎さまからいただいたご紹介で、
 
”見合い、恋愛の末” ということになりますカネ!
 

結婚1年前の昭和32年(1957年)3月3日に、三鷹にある慈子ちゃんの
 
実家に呼ばれた形で、むっちー1人で訪問したのが初対面。その時、私の父”芳男”の
 
教えがありました。

「仕事でも結婚でも、人生には大切なことに出逢った時は、即決、即断。少しでも
 
心に迷いを感じたものには、手をだすな」

 

むっちーは彼女に出会った瞬間に、この人が僕の生涯の妻になる人だと瞬間で
 
思ったんです。まさしくそれはInspiration! 
 
でも、その時慈子ちゃんは21歳ですから、いきなり飛び込んできた男が、
 
夫の対象に思わぬのも当然!
 

ドアベルを鳴らして、現れた男は73分けのポマード男ですから”超おっさん”に
 
見えたらしい(笑)。
 

約1年間の交際でしたが、むっちーは11人兄弟姉妹の末っ子。そこに21歳の
 
慈子ちゃんがとても嫁入りはできない!と、最初は見事に断られました。
 
でも努力と説得の上、交際再開。
 

ではここで、皆さんにこれまでよく質問されたことを55周年記念ですから
 
発表いたしましょう。
 

Q) 婚前、○○○はしましたか? 

A) 正直に答えます。全くありません。そのころは今のように自由ではないので、
 
    お手てをぎゅーっとつなぐだけ。


Q) 本当のことを言え、むっちー!

A) 忘れてしまいましたが、ダンスをして”頬と頬を寄せ合って” 
 
    抱きしめたことはあります!
 

かくして1年間の交際の末、1958年3月3日午後3時、阿佐ヶ谷教会で式が始まり、
 
3時30分に終了。新婚旅行は京都の都ホテルの33号室。
 
すべて3333でしたから、二人で忘れることもなく55年間丈夫で長持ちしています。


息子も娘も3月3日が結婚記念日と、家族中が忘れることのない結婚記念日、
 
84歳でもこうして生きている喜び、そして55年の愛、私の父や母、
 
そして沢山のこれまで出会った方たちに感謝です。
 

”これからが我が人生の春ひざし”