ムッチーは1月30日、84才を迎えました。みなさんに感謝。
僕たちの若い頃は、”身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く』と教わりました。
この年齢までこうして生きていることに両親、兄弟、子供、友人、総ての人に感謝ですよね、
ありがとうです。
1929年昭和4年、父親が阪神乗合バスの事業創設のため、京都に渡り、11人兄弟の末っ子と
して、上京区の病院で生まれたようです。その時、生家は『銀閣寺』の横から琵琶湖に流れ
込む、疏水(そすい)を背にした所にあり、なんと京都条令に依り、今でも壊されずに
残っています。
昭和4年の時代背景は、どうやら今日と同じ様に不景気『世界恐慌とか、昭和恐慌』と言われ、
例えば東大卒業生の就職率はなんと30%だったと書かれていますから、今日の不景気より
もっと厳しかったみたいです。
工場で働く女工さんの日給は50銭~70銭。父の会社のバスガール(今流、航空会社の
フライトアテンダント)さんの初任給がなんと96銭(現在の100分の1)。ちなみに私が大学を
卒業した時の初任給は6000円から7000円でした。
明治・大正が終わり日本人口は6100万人にやっと手が届いた程度。その頃の日本は貧乏
だったのでしょうか? 日本はアジアの資源を求めて、当時の満州に進出。『満州事変』が
翌年の5年に勃発(ぼっぱつ)しました。
高齢化社会、みなさんは100才まで生きるのですから、ご自分の生まれた時代背景なんか、
調べておくと楽しいかもしれませんね。
※ この年も もう如月(きさらぎ)の 2月かな
今日も人生 あすも人生
誕生日当日、オフィス テラオに出掛ける折に 妻の慈子に、「この年齢までお付き合いを
されている事務所の方に、お祝いをされないで、貴男が皆様にお礼のディナーでもご馳走して
あげなさい」と言われ、近くの小奇麗な『蜂の子』と云うレストランに行きましたところ、
友人の一人が・・・「この方、今日がお誕生日なんです!」と言いましたら、「美しいママさん」が、
お支払いの時、『プレゼントです!』と言って、何と私の代金を取りませんでした。
これは私にとって大きなニュースです。
『蜂の子』さん、ありがとう!!!